組織の中で迎えた更年期

遠距離介護が重なり、疲れはピークでした。―石川牧子さん(64歳)

アフガニスタンの女性難民の取材や、横浜国際女子駅伝といった国際的なスボーツ大会の実況など、女性アナゥンサーの活躍の場を広げてきた石川牧子さん。しかしその裏で、パーキンソン病を患った母親の介護のため、東京と実家のある仙台を週末ごとに行き来する「遠距離介護」を、41歳から7年開、練けていました。石川さんの更年期は、まさにそんな中でやってきたのです。

「正直、更年期を意識したことはあまりありませんでした。というより、介護と仕事の両立で心身ともにいっぱいで、『更年期なのかも』と考える余裕すらなかった、という感じ。でも、今振り返ると、40代の半ばからの私は、いつもイライラしていたように思います」

それまでは受け流せたような、ささいなことにやたらと腹が立つ。たとえば駅の改札のあたりにたむろする人たちに「通りにくいじやない!」と苛立ち、素知らぬ振りでぶつかってみたりしたことも。居酒屋では生ビールを運ぶ店員に「取っ手を持たずにグラスを直接手で持つたらビールがぬるくなるわ!」と腹を立てる。「ああ、私はこうして意地悪ばあさんになっていくのかしら……なんて、本気で憂いていました」。ただし会社では若手社員のおしゃベりに「くだらない」とイライラしながらも、顔には出さないように努めたといいます。一方で、肋膜炎を患ったり、いつも片頭痛に悩まされたりと、不調が続きました。

47歳で部長に昇進苦悩しつつも仕事を続けて

こんな状況にあった中、47歳で日本テレビアナゥンス部の部長職を任命されます。「在京キ—局初の女性アナウンス部長」の1生とあって大きな話題になりましたが、「正直、打診されたときは、『断ってもいいですか』と聞き返しました。介護生活で満身創痍で、役職の重責をこなせるとは思えなかったから」と石川さん。しかし組織の一員として「断る」といラ選択肢はないのが現実でした。50人を超える部下を抱え、番組編成に合わせて担当アナウンサーを割り振りする仕事は、考えていた以上に緊張を強いられました。

「プライべー卜での不調や苦悩は無理やりにでも封印し、仕事に臨むしかなかったように思います」

介護の末、母親を亡くしてから1年余り、今度は自らの体調不良に気づきます。実は若いころから子宮筋腫がありそれが大きくなつていたのです。医師日く「小玉スイ力の大きさ」。まわりの臓器を圧迫し、腹水もたまっていました。閉経が近づく年齢になると筋腫が小さくなるケースも多いのですが、石川さんの場合は違いました。

51歳の石川さんが下した決断は「子宮全摘」。「取って楽になりたかつた。迷いはありませんでした」。しかし、婦人科系の病気は言い出しにくく、信頼できる同僚にのみ事情を話し、大型連休を利用して、休みを最小限に抑えて手術に臨みました。子宮摘出で、人工的に閉経を迎えましたが、医師からは「卵巣は非常にいい状態」の言葉も。術後に大きな不調に見舞ねれることはなく、「さっぱりして前向きになれた」と言います。40代にずっと続いたイライラは、いつの間にか消えました。

その後、父親も数カ月の介護の後、見送りました。「両親の介護、子宮筋腫の手術、会社での役職・・・・・・と、私の40〜50代は波乱の速続でした」。更年期世代の女性には、体の変化だけでなく、色々なことが振りかかります。石川さんは「何度も会社を辞めることを考えた」と言います。「でも、好きな仕事を辞めたことを親や周囲のせいにしたくなかった。私の人生は私、が決めよう上司が引き止めてくれたこともあり、仕事は続けると心を決めました。今考えると、辞めなくて正解でした」。

苦悩しながら、仕事に、介護に取り組んだ石川さん。その日々を乗り越え、51歳のときにはタレントやアナウンサー養成学校の院長に就任し、6月に退任。今はセカンドライフ新たな一歩を踏み始めています。

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